わたしは小さな出版社の編集が仕事ですから、本を作る、文章を書く・書かせることを本業としています。とくに得意な分野は「自分史の書き方」「ドキュメント取材の仕方」「市民文化運動のすすめ」などです。
そこで、自分の住んでいる地域の文学散歩を以下のような案を企画してみました。
1)千葉県にあった「戦争と花」物語
太平洋戦争中、それは昭和16年ころから、食料増産のために花栽培禁止令が出されました。千葉県、長野県、兵庫県でとくに強制されましたが、千葉県では農民の無言の抵抗がありました。これは田宮寅彦の「花」という作品に書かれ、わたしたちの取材、市民運動で童話、映画、演劇、音楽などに創作されています。
今ではどの家庭にも植えられめでられている花ですら、戦争は心の豊かさも許しませんでした。スイカや梨の栽培も贅沢として禁止されていきました。
さだまさし、井上ひさし氏など県内在住の人が呼びかけ人になった運動です。
2) 海を渡った朝鮮海女さんたち
房総の海辺には何人もの朝鮮、韓国からやって来た海女さんが住んでいます。保田から鴨川にかけた海で漁をしていました。
彼女たちは戦前、日本に連行されて来た人たちです。主に斉州島からの海女さんが多いのですが、日本の海より荒く厳しいので成果を期待した軍や民間から徴用されたのです。
連れてこられた当時は、まさに海岸でタコ部屋生活を強いられ、生死をかけた生活だったといいます。日本の海女さんや男海女さんもいましたが、カジメという海藻を主に採らされていたため、漁協などから収入がなかったのです。カジメは爆薬の原料となったそうです。
日韓併合から100年の今年、身近なテーマでもあります。
3) こんな人が身近にいる
朝日新聞のサービス版として青少年スポーツ新聞「あさひふれんど千葉」が発行されています。この編集長・伊藤大仁氏は元新聞記者、画家で千葉市に住んでいます。婦人駆け込み寺、障害者福祉施設、外国人亡命者などの支援をつづけています。
ある年、千葉日報社の旅企画で障害者が多数、韓国に集団旅行、伊藤氏も責任者として同行しました。ところが、旅行会社のミスで旅費がまったくなくなり、現地でみんな立ち往生してしまいます。
この苦難を聞き助けてくれた人は、いわゆるキーセンと呼ばれる女ボス。手下の女性を使って何組にも分かれ案内してくれた上、100万円余の旅費を寄付します。「わが同胞が日本で困っていたら同じように助けてくれればいい」と、返金を断りました。以来、伊藤氏は来日する韓国文化人の個展や宿泊の面倒をみています。
4) 三番瀬を守る人たちと高校演劇
東京湾最奥部に広がる市川、船橋の遠浅・三番瀬は古くから江戸前の漁業として発展していました。この豊かな海を埋めたてる計画が持ち上がり、高速道路や人工海岸、ショッピングモールを作る構想があります。
しかし、自然破壊になり、豊かな海がなくなる、子どもたち子孫末代まで三番瀬を残したいと運動している人たちがいます。
じつは江戸時代、この豊かな海を守るため地元の漁師代表2人が牢獄死した史実があります。牢屋で絶食して亡くなり、船橋の寺に供養仏像「飯盛り大仏」が現存しています。毎年2月、漁協や園児が炊いたご飯を大仏につける供養祭が行なわれています。
この話を現代民話にした船橋在住の津賀俊六氏は、本業を鍼灸師としたアマチュア。そして、この本をもとに八千代松陰高校の先生と演劇部が創作、一般公演し大好評でした。
地元のことを素人の力で創り上げている市民運動です。
5) 自分を見つめ自分史を
以上、紹介した人や事実はけして特殊なことではなく、よくよく見てみると、わたしたちの周りにもいそうな、ありそうなことです。そうです、もしかすると、わたし自身、あなた自身にも似たものがあるかも知れません。
人生長い(短くても)間、人に言えないこと、誰にも話せなかったことが、どんな人にも5つや6つあるでしょう。恋愛、入試、就職、結婚は十人十色ですし、失業、借金、自殺、離婚、戦争などの負があるかも知れません。
文章はけしてうまく書く必要はありません。上手に書こう、ドラマチックにまとめようとすることもありません。構成でもむずかしく考えないでください。自分が思いついた順に、一番記憶がはっきりしていることから始め、長文を書こうと思わないでいいのです。
一生に一度、自分の人生を振りかえり、子どもや孫に書き残してみませんか。何百年後にも子孫に読んでもらえます。
6) その他、文学散歩でも新しい企画で
・ 幕張で20歳まで育った椎名誠と堂の山、子守神社
・ 屋台引きから始めた作家でグリーンタワーホテルの林清継と西千葉
・ 喫茶店、飲み屋で働きながら小説を書く市川市の荒川昤子
・ 「日本で最初に試みた人」で人体解剖の山脇東洋、江戸コミューンの安藤昌益、親鸞を書く林太郎と四街道
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