「エンジンのトラブルかな?」
「それにしちゃ、音が変だよ」
船底で作業をしていたわたしたちは異常な音と振動に驚き、とりあえず甲板に上がることにした。
「ほりゃ、見れや、車があんなに揺れてるぞ」 船から岸壁を見ると、魚市場に止まっている車はガタガタと音を立てて左右前後に揺れている。岸壁を作っている何トンという石も崩れ、人びとは叫びながら逃げ惑っていた。
「こりゃ、大変だ。地震だぞ」
一九六八(昭和四三)年、わたしは青森県八戸市でマグニチュード7・9という十勝沖地震に遭遇していた。
死者五二人の中には、校庭に避難した中学生が地割れに飲み込まれ亡くなった悲劇も起こった。市内では火災があちこちで発生、家屋の倒壊も多かった。
しかし、不幸中の幸いとでもいえるのか、今回の東日本大地震のような津波被害がほとんどなかったのだった。八戸港に係留されていた船という船は、いっせいに汽笛を鳴らし沖に向うのだったが、不思議に思ったわたしに地元の年寄りがささやいた。
「沖に出て津波を乗り越えるのさ。大きな波でも船首から行けば大丈夫だあ。チリ地震の教訓から、地震が来たら船は沖に出るんだあ」
冷凍機器の設置を仕事としていたわたしと友人一家は、市場のまん前に住んでいたが、津波警報のため、しばらく帰れなかった。今では笑い話に語れるが、自宅が心配で見に行くと、沖から山のような津波が来ていて、車をUターンさせ逃げようとして、事故を起こしてしまったのだった。
それにしても、今回の東日本大地震に際して日本人の、民族性について考えることがある。
海外支援団体のNPO法人が呼びかけた被災地の子どもたち支援に、まだ言葉もはっきりしない幼児たちが色鉛筆、クレヨン、画用紙を自分のお小遣いで買ってきた映像。歌手の和田アキ子が泣きながら「あの鐘を鳴らすのはあなた」をうたって被災者を励ます姿。被災支援活動の女子高生投票では、一位に選ばれたタレントで半身裸が売りの江頭氏が、ひっそりと一人でトラックに肌着や毛布を積み込んで被災地に行ったらしい。
芸能人が、スポーツマンが、一般市民が自分や親戚のような気持に同化して、さまざまな支援活動に今日もとりくんでいる。
ここしばらく、日本人として民族の誇りを感じることがなかったわたしだが、支援活動の一コマ一コマを見るにつけ、知るにつけ、うなづき、胸を突かれ、涙があふれてしまうのだった。
その一方で、店頭から米や水やパンがなくなり、ガソリンスタンドはしばらく開店休業の状態になった。通勤にバイクを三台も使っているわが家は、わたしのボートからガソリンを抜き取り分け合って勤めに出た。
かつて、トイレットペーパーが買いあさられ、米が流通しないで倉庫に眠らされていた「火事場ドロボー」的な風潮が、この大災害でも起きてしまう。ちなみに、わが東銀座出版社が、マンガ『米がなくなる日』を出版したのは、米騒動が起きる三年前だった。
被災地では六万とか七万という仮設住宅が緊急に必要なのに、建築に必要な合板材が手にはいらず、一・五倍の値上がりに苦しんでいるらしい。生産工場は十分な増産だというから、どこかで値上がりを待って買い置きしていると専門家は指摘する。関東地方の建築屋さんも泣いていると知人に聞いて驚いた。
一方で、わが身を削って被災者を支援、励ましているのに、その向こうでは災害を逆手にとって金儲けや詐欺や保身に走る「国民」がいる。ほんとうに同じ日本人、大和民族なのだろうか。怒りを通り越して悲しくさえある。民族の二面性を見る思いだった。
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