「青い山脈」「にごりえ」「橋のない川」と、上げればきりがないほどの名作を残した映画監督・今井正氏。彼の仕事と生活の全体を記した『今井正全仕事』(東銀座出版社発売、1990年初版)は、自身の唯一の本である。
増刷分も完売し、長らく絶版となっていたが、東銀座出版社の電子書籍第一弾としてこのほど復刊した。今井作品を振り返る決定版として、若い世代にも届けばと思う。
軍艦と戦闘機だけが制圧に動員されなかったという、1948年の東宝争議に参加した今井監督は生涯、その生き方を貫いた。将来を保証された監督の道を賭して 1200名の労働者解雇に反対したため、困難なフリーにならざるを得なかったが、やがて「真昼の暗黒」「ひめゆりの塔」といったヒットを生む社会派監督になっていく。
本書「序にかえて」に萬屋錦之助氏が書いているように、製作では役者にも妥協を許さない厳しさだったと有名だ。「50、60回のやり直しは何回も経験した」と、スタッフも音を上げるほど妥協がなかったらしい。
わたしは、収録対談に登場する脚本の水木洋子さん、評論の湯川れい子さんとも同席したが、作家の住井すゑさんとのときは緊張の連続だった。
「橋のない川」の原作者と監督は、映画作成以来、関係断絶にあった。部落差別を扱った当作品に女の子が、ヘビを模した縄をまわす場面がある。これに抗議した解放同盟が住井さんを呼び出し、ドスを抜いたと言う。対談の数日前から監督は、分厚い資料を準備して反論に備えていたらしい。
対談の冒頭だった。「撮影以来の再会ですね、映画ではご心配をおかけしました」と年下の監督。「ああ、ヘビのことね」と住井さん。すかさず監督が「ヘビではなく縄ですよ」。すると彼女、「あら、縄だったの。わたし映画まだ見てないのよ。誤解してました。ごめんなさい」。二人は大笑いし、やがて酒宴になった。
住井さんもまた、生涯を反権力の作家として生き続けた。住井さんの住む茨城・牛久沼からの帰途、車中で日本酒を買った監督は「やっと、落ち着いて飲める」とワンカップをあけていた。
コメントをお書きください