房総紀行

 わたしが教える都内と千葉県の文章教室で房総ツアーを企画した。
 1日目は館山市に起きた石川啄木夫人・節子の療養にまつわる足跡を追った。啄木は明治45(1912)年に結核で亡くなる。直後、房総の館山北条海岸へ節子と娘・京子は療養に来る。節子もまた結核に侵されていた。
節子親子は、啄木の妹・光子の紹介でコルバン夫妻というキリスト教宣教師から世話になる。実際に逗留していた家は片山かの(カノ)という、廃藩置県で静岡長尾藩が集団移転して来た元武士の家。
 わたしはかつて出版の仕事でこの地を何度も訪ねていた。トヨタ自動車1号機製作に関わった世界的なギア博士、成瀬政男の伝記『心の灯台』を出版するためである。
 これを企画した中心人物は元白浜町長の和がい通夫だったが、「毎日、往復32㎞の道を徒歩通学して努力した成瀬博士を若者に伝えたい」と主張した。ところが、彼の道案内途中、「博士の祖母、片山かのが啄木夫人を守ったところ」と紹介してくれたのが、このツアーのきっかけである。片山かのは成瀬博士の祖母にあたる。
啄木夫人・節子親子は療養と出産のため館山に来て、片山家の離れで生活した。ところが、療養を聞きつけた村の代表が伝染病だから村から出て行ってほしいと、片山かのに抗議する。
「コルバン夫妻が身寄りのない病人を助けているのに、わたしがこれくらいの世話をしないで外国の人に恥ずかしい」
 片山かのはキッパリと村人の抗議に体を張って親子を守った。
 わたしは成瀬博士の伝記を1年余かけて出版したが、この、片山かののことがどうしても忘れられなかった。そして、偶然にも館山市で片山かのに詳しい人に出会えた。平本紀久雄氏は、キリスト教を信仰しながら房総の歴史を掘り起こしている。地元では「イワシ博士」として知られている。
 何度も訪ねたがわからなかった片山かのの墓、節子親子が療養していた離れ、コルバン夫妻が建てた教会跡などを17年ぶりに発見できた。偉大だった片山かのの墓参ができて、海と空がさらに抜けるように青く見えた。
 節子は房州で房江と名付けた次女を無事に出産したのだが、啄木と同じ26歳の若さで大正2年、世を去っている。

 ツアー2日目はコンサートである。前日の企画とちぐはぐな気もするが、わたしにとっては「鋸南町おこし」で連動している。廃校を再利用した鋸南町「道の駅保田小」での音楽会。

 音楽(文化・芸術)は人間が生きていく上で必要だった。遠い場所に伝えるための発声、集団で獲物を追うための楽器製作、「ソーラン節」や「ヨイトマケの唄」は作業の呼吸を合わせるために唄われたのだった。
 6月20日、鋸南町・道の駅音楽室で「美地コンサート」が開かれた。こんな小さな田舎町での催しは、なかなか開催そのものに決断が必要だっただろう。
「権利」「手と手と手と」といった歌は、彼女が児童相談所や障がい者施設の保育士の経歴から選ばれたのか。また、ベトナムやカンボジアの子どもたちを励ます音楽会を現地で開いてきた体験は、「世界中のお母さんたちへ」「アメイジンググレイス」を歌っていた。
 一番、感動した「鮮やかな追憶」は歌謡曲らしいが、とても奥深い響きと中音の音質が朗朗と届いた。「ともしび」は黒柳徹子さんの実父、カザルスにも評価されたチェリスト・井上頼豊、ロシア合唱の白樺指揮者だった北川剛らが、シベリア抑留中に反戦歌として持ち帰った歌。
 わたしがかつて聞いた音楽で強く印象に残るものは、モスクワ軍管区赤軍合唱団(当時)と、えん罪・布川事件を支援しつづけた毎日音楽コンクール優勝者の佐藤光政である。その一角に彼女の歌が並んできた。
「月の砂漠」や「ふるさと」を参加者みんなで歌うサービス精神は、この歌い手が関鑑子創立のうたごえ運動に参画してきた体験であろう。「見上げてごらん夜の星を」をうたった時は毎週、原稿をもらいに行った故いずみたくの作曲裏話を思い出していた。
 音楽は実際に聞いてみないと音質や響きや声色がわからない。楽譜は音階を示しているが、「音と音の間に音楽がある」と教えてくれたNHK交響楽団指揮者・外山雄三の言ったとおり、彼女の歌にそのことが聞こえてきた。
 歌手とコンサートをとりくんだメンバーが、福島原発で鴨川市の施設に避難して来た折、これまでの経験を生かして子どもたちを支援していた経緯は、当日の音楽に深く反映し、少なくない聴衆の涙を誘っていた。
 文化・芸術が人類の生存になくてはならないものとして発生し、やがて娯楽や鑑賞と発展、今日に至った。「美地コンサート」が、わたしたちが進めている町おこしに十分、寄与してくれたことを喜び、確認できた催しだった。

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