40数年ぶりに小学校のクラス同窓会に誘われました。わたしは中学時代に転居していて住所不明。そこで、クラスメイトが母校の名簿を頼りに実家を捜してくれましたが、すでに実家も転居していてなく、みんなで東京、関東の電話帳を検索したそうです。たまたま、めずらしい名前なので千葉県に発見、こうして連絡してくれたのでした。
たかがクラス会ですが、こんなに他人のために奔走してくれた人がいることに感動しました。
このことをきっかけに、やはり住所がわからなかった当時の恩師探しの顛末記を書き、親友だった故人の追悼文を書きました。当時、住んでいた下町を、それこそ何十年ぶりに歩き、風景の変化や学校を訪問して取材しました。
こういうことは誰にでもありませんか?
こうした感動的な体験は誰にでも貴重なのですが、それに多くの人が気づいていないのです。わたしの体験からしても、小さな経験が感動を与える文になると思います。
久しぶりに出席したクラス会は、一見どこにでもある光景ですが、よくよく考えると40数年の時間を埋められたことは、何物には代えがたい心の問題なのではないでしょうか。
感動とは永遠のテーマであり、人間に与えられた特別な感性ですが、だからこそ、武器にもなり、ハンモックのようなやすらぎにもなるのでしょう。
文章を書く、自分史をまとめる、小説に挑戦してみる、そういうことは自分の素直な体験をまず綴ることから始めてみませんか。